遊ぶが勝ち

為末大の「遊ぶが勝ち」これからの人間に求められるのは遊び心とブランド

遊びが仕事になると言っても誰も信じません

ホリエモンは「これからは遊びが仕事になる時代」と言ってます。

これは理解できない人には全く理解出来ないですよね。最初は自分もそうでした。

そんな楽しい時代が来るの?

 

でも、なんとなくわかってきました。確かに人間が仕事で残れる分野ってそこだけかもしれない。

才能だけで成功した例は無い!「バカは最強の法則」はまさにホリエモン流

 

そんな時に目に入ったのが為末大さんの「遊ぶが勝ち」です。

気になってた「遊び」というキーワードのヒントになりそう!

 

この本は為末さんが、ドイツの文化史家「ヨハン・ホイジンガ」という人が書いた「ホモ・ルーデンス」という本に触発されて書かれた本です。

為末さんはシドニー、アテネ、北京の五輪に出場。世界陸上でもメダルを獲得。陸上選手では有森裕子選手に続く史上2人目のプロ陸上選手になられました。

そんな為末さんも、一時はトレーニングをしてもしても結果に結び付かず、そもそもなぜ陸上選手を続けてるのかと、自問される日々だったそうです。

 

そんな時にホモ・ルーデンスに出会い、世界の見え方が転換したのです。

遊びは、はっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。

ホモ・ルーデンスのこの一文を読んで、「そうだ、スポーツと遊びは似ている!」と思われたのです。

 

我々は常に高いものを追い求める存在で、それが現実の名誉や優越だろうと、とにかく我々はそういうものを追求する本性を備えている。

そしてそういう努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、それが遊びなのだ。

これってスポーツそのものなんです。

 

遊びについて考える事は、為末さんにとって「生きる事について考える事」と同じだったのです。

とかく日本人は「遊び」と聞くと、なんかふざけてるような不真面目な印象を持ちます。

 

しかし、俳句も囲碁も全て遊びで、真面目と対立するものではありません。

そう、「遊ぶが勝ち」なのです。

是非、来たる未来に備えてこの本で「遊び」について考えておきましょう。

遊びにより進化していく

為末さんはもちろん小学生の時から異次元の速さで走っていました。

しかし、高校生になって伸び盛りのライバルたちに負けるレースが増えてきます。

いつも一位だったのに、どんどん順位が下がっていく。

それは半端ない屈辱でした。もっと自分に向いている競技があるのでは無いか…?

 

そんな時「ハードル」に目を付けます。競技人口も少なく、身体能力だけでなくまだまだ工夫次第で伸びる余地がある。

そう思って出場した大会で、日本新記録で優勝したのです。

でもすんなりと移行できるわけではありませんでした。

花形の100メートル走に未練もあるし、「逃げた」という後ろめたさもあったのです。

 

しかし視点をずらすと、為末さんにとっての究極の目標は速く走ることではなかったはずです。

「世界の舞台に立つこと」

はっきりと目標が確認できた瞬間から、ハードルに対して熱中できるようになったそうです。

 

自分の中にある固定観念を崩すのは難しいです。特にスポーツは「やり通す」事が美学にもなっています。

一本の道を突き詰めることも大切ですが、少し視点をずらしてみたり、大胆に組み換えてみても大切な方法なのです。

その「引く」とか「ずらす」という遊びの感覚を駆使して距離と取り、自分の中に「余白」や「隙間」を作っていく事が大切です。

自分自身を向上させるのも遊び心なんです

モチベーションに関わる心理調整

長く競技を続けていると、モチベーションも上がったり下がったりして調整が必要になります。

モチベーションの上がる時。

例えば自分の中で「いけそう」という読みと周囲の「期待」と合致している時。

 

モチベーションが下がる時。

「何かの為に」とやらされ感、義務感が大きくなってしまった時。

これはスポーツだけでなく、仕事や勉強にも通じる世界です。こうした取り組みに「遊び」の要素はなかなか入りにくいです。

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反対に、自分から自然に始めた事なら、人は「遊び」の感覚や楽しさを持ちやすい。

クリエーターや起業家が、仕事をしている時でも遊び感覚に満ちて楽しそうに見えるのも、きっと同じ事です。

ホモ・ルーデンスでは

命令されてする遊び、そんなものはもう遊びでは無い。

全ての遊びは、まず第一に、何にもまして一つの自由な行動である。

とあります。

「よし!今日もグランドに行くぞー!」と「あー、今日もグランドに行かなくちゃ」では大きな違いがあるのです。

 

スランプの時には色んな方法を試されたそうです。ボールを使ったり、鈴を付けてみたり。

そうするうちに「自分」という意識が薄れていったそうです。

子供の頃、ただワクワク楽しい時間だけを過ごしている。何も考えずに遊びの世界に没頭している。

それこそが大きなヒントだったのです。

 

日本では仕事やスポーツを遊びだと言うと、不謹慎であるかのような意見が出てきます。

しかし、そのワクワク感こそ鍵となります。

努力を実現する為に、人間に先天的に与えられている機能、それが「遊び」なのだ。

この言葉にホモ・ルーデンスで出会った時に、為末さんは力強いメッセージに感動されました。

 

遊びによる工夫と創造

遊びとは工夫です。こうすればもっと面白くなるかも。こうすればもっと楽しんでくれるかも。

それはもちろん自分自身に向けてのことでもあります。

それって、脳科学にも通じますよね。

 

おままごとや人形遊びは、いわば即興劇的な面白さをたのしんでますよね。

演じることも遊びの一つです。

 

人間は苦しいと大抵ネガティブストーリーに呑み込まれてしまいます。

逆に成功する人はポジティブストーリーに自分を乗せていきます。

「自分は成功するに違いない」という感じで、人目も気にせず没頭します。

 

為末さんは極限状態で自分を作るには「顔を作るところ」から始めるそうです。

いわゆる勝負顔。よくマンガである周りのみんながハッとするやつね。

自分自身をデザインする事は、心を作る事にも繋がっていきます。一種の遊び心なのです。

 

緊張の要素こそ、遊びの重要な役割となっている。

緊張とは不確実であること、やったみないとわからないということ。

もし、知恵の輪が外し方が分かってると遊びにならないですよね。

ビジネスにおいても同じで、「経営学を学んで社長になる」のではなく、社長になった時には、そのプロセスによって、「すでに経営学が身についている」のではないかという事です。

 

遊びの領域の外にあるのが報酬。報酬を求めてすること、それは仕事で遊びではない

キングコングの西野さんが、副業のYouTuberは稼ぎを考える必要がないので、本業YouTuberが出来ないような、採算度外視の動画を作ることが出来る。

その余裕が面白さになっている。だから副業はよいと勧めていました。

それに通じるものあるんじゃと思います。

 

遊びながら学び、学びながら遊ぶ。

面白いからやっていることが、自然に学びに繋がっていくのです。

 

応用領域とは、遊びの領域です。

発想力を磨き、新しい方法をクリエイトする。

強さとは反復や基本のその先にあるものです。

 

遊びの要素には緊張、不確実、不安定性があるとはこういうことです。

 

サンクコストの概念にも遊び心が必要になります。

意識の中の自らが続けてきた努力の量と、偉大なことを成し遂げたというイメージを処理できるか。

これって、すごい大変です。確かに遊び心だと、次のステージ、もっと次の挑戦となるのかも。

 

ブランドという価値もある種のムダであり、遊び的ですよね。

これからの社会は「使えばいい」ということと、高くても「ムダ」なものに対価を払うことの二極化が進んでいくだろうと言われています。

 

デザイン、色彩、ストーリ性、歴史性は機能でなく、みんなブランド価値。

ある程度の生活の基本が揃うと、人の気分は遊ばざるをえないんです。

 

遊びは真面目の対極だと感じてしまう。実際には共存しうる。

遊びは決してふざける事ではなく、むしろ我を忘れて熱中することです。

 

大人の仕事が遊び化しにくいのは、目的があり、組織の都合があり、期限とノルマがあるからです。

しかし、それだけではもう機械やAIに代用されていくだけになります。

人間にしか出来ないことが求められるなら、遊びの中にヒントがあるということがわかりました。

是非本で詳しく確認してください。為末さんの著者ってどれも面白いんですよねー。

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是非合わせて読んでみて下さい。めっちゃ役に立つと思います。

 

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著書名 新装版 「遊ぶ」が勝ち (中公新書ラクレ)

著者 為末大

出版社 中央公論新社