ツァラトゥストラはかく語りき

 

側から見たら絶望的な状況でも、周りを助けつつ必ず復帰するという意志を失わない。それを幼子のように人生とたわむれる。

壁は何度も何度も現れます。でも何度でも立ち上がって越えればいい。

そんな生き方をニーチェは「超人」と言います。そうならなければ満足できない人生の繰り返しになります。

ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」そっくりそのまま繰り返しても構わないという生き方をしてみよ

こんな生き方をしなくちゃいけないんだ

この本を読むと得られるもの

  • 「超人」とはどんな人物か理解できます
  • 人生とはいかなるものであるのかがわかります
  • 自分を辞すん自身で超えていく大切さがわかります

 

最近Netflixで「梨泰院クラス」を見たんです。

 

原作のマンガは以前読んでて、最高に面白かったのでドラマも見てみました。

これまた最高に面白かったです。

六本木クラス(梨泰院クラスの邦題)はピッコマで読めます。

 

そのドラマの中でイソが本を読んでいるシーンがありました。15話ね。

読んでいる本は「ツァラトゥストラはかく語りき」。

またイソらしい難しそうな本を読んでるなあ。

 

イソはこの本を閉じて一言「分かる」と言います。

「もし来世があるなら、私は生まれてきたくなかった」

 

でも今は気持ちが変わったそうです。

そしてこの一文を引用するのです。

何度でもいい

むごい人生よもう一度

 

このシーンが好きでたまりません。

どんな本なんやろ?

そう思って僕も読んでみました。

 

この本はニーチェの分身とも言えるツァラトゥストラが「神は死んだ」と人々に伝えていこうとするストーリー。

しかし当然ながら人々には受け入れられません。

 

実際ニーチェがこの哲学を世に出したときも、世間の人々は理解してくれなかったそうです。

僕も一回読んだだけでは全てを理解出来ませんでした。

 

この本では、第一部から第四部まであり、その中で

  1. 三つの変化について
  2. 徳の講座について
  3. 世界の向こうを説く者たちについて
  4. 肉体を軽蔑する者たちについて
  5. 歓びの情熱と苦しみの情熱
  6. 青ざめた犯罪者について
  7. 読むことと書くことについて

etc

など、ツァラトゥストラの教説について語られています。

 

お察しの通り、超訳の超訳が必要なくらいかなり難解な内容でした。

ここではざっくり要点だけ書いていきます。

本書に比べてとても薄い内容なので、是非本で読んでください。

神は死んだ

日本人ではいまいちピンと来ないかもしれませんが、人々は自分の境遇から抜け出したい時や、窮地に追い込まれた時に神に祈ります。

「幸せになれますように」

「願いが叶いますように」

その願いを神は叶えてくれたでしょうか?

 

ほとんどの方は実感がないのではないでしょうか?

なぜ神様はあなたの願いを叶えてくれないのでしょうか?

 

「お祈りする気持ちが足りないから?」

しかし、心を込めてあと100回1万回お祈りしても、願いは叶わないでしょう。

 

神は死んだ

ニーチェはこう言います。

 

だから何回祈っても何も返ってはきません。

生き物の世界は弱肉強食です。

弱いものは強いものに食べられます。

 

強い者の間でも争いはあります。

ここでも強いものが弱いものに勝ち、競争に負けたものは追われ死んでいきます。

これが全ての生き物の常識なのです。

 

これは辛いけど、人間にも当てはまります。

紀元前586年、中東にあったユダ王国は強大なバビロニア王国に占領されました。

街は破壊され、王も市民も奴隷としてバビロンに連れて行かれました。

 

奴隷たちは過酷な環境で労働を強いられます。

ユダ王国のみんなは絶望に陥り、バビロニアを倒したいと願います。

しかし、そんな力はありません。

 

そんな時に神は人々の間に広がったのです。

神様が助けてくれるんじゃないか。我々には神がついているではないか。

そうして皆祈り始めます。

これが神が生まれた瞬間なのです。

 

神とは虐げられた人々が救いを求めて心の中に創り出したものです。

そうする事で生きる力を手に入れました。

絶望から救われて、日々を生き続けることが出来たんです。

「今は苦しくても、いつか必ず救世主が現れてお前たちを倒してくれるんだ」

 

しかし待てど暮らせど、救世主は現れませんでした。

イエス・キリストが現れるのはそこから500年後。

 

しかも救世主であるイエスは支配者たちを倒してくれませんでした。

むしろ想像とは違う答えが返ってきたのです。

汝の敵を愛せよ

 

「弱き者は幸いなり。なぜなら天国は彼らのものだから」

今は弱くても信じていれば死んだ後には天国に行ける。

その教えは「弱き者」たちの間に広まります。

世界の各地まで広がったキリスト教は「世界宗教」となったのです。

「世界の宗教」を知れば、文化も思想も大切にしているものもわかります

 

しかし、生き物の世界は全て弱肉強食で成り立っていたのではなかったっけ?

なぜ人間は違うのでしょう?

それが世の中の摂理なら、「汝の敵を愛せよ」とは何なのでしょうか?

 

キリスト教が誕生してから1300年後、産業革命が起きました。

これまで力の強さで支配していたものが、資本家が経済力の強さで、人間を労働力として支配を始めます。

 

労働者はこき使われますが、以前の奴隷のように死ぬ事は減りました。

なので人間は苦労や争いを避けるようになり、自分だけが幸せであればと考えるようになりました。

 

神の教えを伝える教会もお金集めに必死になり、仲間割れさえも始めて戦争を起こします。

もはや誰も神の考えを本気で守っていません。

むしろ神なんていなかったんだと気付きはじめます。

「神は死んだ」のです。

 

しかしそれでも人々は神を信じます。

強い者には一生敵わない。

このまま生きていくしかない。せめてあの世で神様に…。

 

これがニーチェの「神は死んだ」という言葉の意味合いです。

 

ニヒリズム

自分の人生に満足していますか?

僕も含めて大抵の人はこう答えるのではないでしょうか?

「満足はしていない。けど、まあまあいいかな。ずっとこのままでもいいや」

 

力への意志を忘れ、勝利や成功への欲も忘れていませんか。

それは「末人(まつじん)」の群れに埋もれようとしている状態です。

ううう、胸が痛い。

 

時代が進み、奴隷として使われることは少なくなりました。

その代わり奪われるようになったのは「金銭」です。

 

負けた国は勝った国の植民地となりました。

厳しい税金や生産物を安く買い叩かれたりしました。

しかし奴隷よりはマシだ。みんなそう考えます。

 

厳しい徴収を受けても、死なない程度にお金はあり、たまにはお酒を飲んで楽しく過ごすこともできます。

これこそ、満足はしていないが「まあまあ」な状態です。

これでいいじゃないか。これ以上頑張らなくてもいいじゃないか。

高望みしなくても、まあまあ満足じゃないか。

 

この頑張っても無駄という考え方が「ニヒリズム」です。

動物にとって「あきらめ」は死ぬことです。

でも人間は簡単には死ななくなりました。

 

そんな「頑張らなくてもいい」世の中で、ラクして生きていく事ばかり考える人間

それが「末人」なのです。

 

かと言って「しなくちゃいけない」ではいけません。

何を「したい」かが大切です。

 

「こう生きればいい」と教えてくれる神はもういません。

だからこそ自分で「こう生きたい」と決めることが必要です。

 

「どう生きたいのか?」そのためには「今何をすればいいのか?

その道には寂しさや悔しさもあるかもしれません。

そんな道を歩むと自らの意志を示す。

 

その姿は純粋無垢に恍惚として、人生と戯れることを知る。

重荷をいとわず、力への意志を示し、幼子のようにあらゆる瞬間を楽しむ。

これがニヒリズムを克服して末人から脱する、「超人」の生き方なのです。

 

永劫回帰

「自分は何がしたいか」とそれだけを考えて生きていきます。

そのためには「今何をするか」を決断します。

 

それでも上手くはいきません。

それが「永劫回帰」です。

 

人間は死んだ後また同じ人間に生まれて、同じ人生を繰り返す。

死んだら天国に行くとか、別のものに生まれ変わるとかは無いのです。

宇宙も世界も永遠に続くサイクルを繰り返す「永劫回帰」なのです。

 

じゃあどうすればいいのか?

「あの時こうすれば…」。でも人生に「たられば」はありません。

人生の繰り返しが拷問になるかどうかは「新しい自分」となるかどうか次第。

 

新しい選択肢を選びもせずに、負けゲームを繰り返すのは拷問でしょう。

神が死んだ今は、もう誰にも助けてもらえません。

その先に進むには、自分自身を超えていくしかありません。

いずれは失敗するとわかっていても、自分を信じて自分を超えるためにです。

 

それが「超人」の生き方なんです。

負けゲームの永劫回帰が嫌なら、どこまでもカードをめくり続けることが肝要です。

その道に終わりはありません。

 

足を怪我して歩けなくなっても、初めて1センチ動いた瞬間から必ず歩けるようになると確信する心。

僕はそんな強い心を身につけることが出来るのかな…。

でもそれこそが超人の生き方です。

 

側から見たら絶望的な状況でも、周りを助けつつ必ず復帰するという意志を失わない。

それを幼子のように人生とたわむれる。

壁は何度も何度も現れます。

でも何度でも立ち上がって越えればいい。

 

ニーチェはそういう「超人」を説いています。

「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでやってみた

この言葉もニーチェだった

実践してみたこと

  • ニーチェの言葉を思い出す

 

僕は座右の銘としているニーチェの言葉がありました。

最近は思い出すことも減ってたけど、改めて思い出しました。

 

「今のこの人生をもう一度そっくりそのまま繰り返しても

構わないという生き方をしてみよ」

ニーチェ

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忘れたくないなあ。何回も読み直さないと。

 

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著書名 ツァラトゥストラかく語りき

著者 フリードリヒ・W. ニーチェ

出版社 河出書房新社

 

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