宮崎駿と高畑勲の頭の中「天才の思考」ジブリ作品の驚異的な完成度はこうして生まれる
登場する人みんな変なんです
誤解がないように力強く敬意を込めて言いますが、スタジオジブリは「変わり者」揃いです。もう意味わからない変人です。
もう一回言いますが、めちゃめちゃ敬意を込めた発言です。
宮崎駿、高畑勲。二人についていける庵野秀明、原徹、そして鈴木敏夫。みんな面白すぎる人。天才ってこういうものなの?
作業内容、発想、着眼点、日常での構想、どこを切り取って読んでも凄すぎて呆気にとられる話がなんと多いのか…。
自分の凡人っぷりを逆に呆れてしまいます。
この本では、作品の内容の解説や裏設定などの話はほとんどありません。むしろ製作側にスポットを当てて書かれています。
しかし、事実は小説より奇なり。かなり楽しんで読みました。
「風の谷のナウシカ」から「思い出のマーニー」までのジブリの歴史を読むことが出来るめちゃめちゃ面白い本でした。
鈴木さんと宮崎、高畑両監督との出会いですが、これがまた凄かったんです。
鈴木さんは当時出版社に勤めており、そこでアニメ雑誌への異動を命じられます。でも鈴木さんはアニメに全然詳しくありません。
色々調べているうちに「太陽の王子 ホルスの大冒険」という作品に出会います。
ホルスは北欧神話の装いですが、扱っていた内容がベトナム戦争だったのです。アニメにもこんな作品があるのかと目を見開きます。
そこで興味を持って、作った人に話を聞こうと高畑監督に電話で連絡と取られたんです。
しかし高畑監督は「なぜ会わないといけないのか」という内容を電話で1時間も話したのです。もうこの時点で高畑監督は只者ではないです。
「という考えを僕は持っているが、隣にいる宮崎駿という監督は別の意見かもしれないんで電話を替わる」
替わった宮崎監督は今とほとんど変わらない人だったそうです。
「8ページじゃ足りないから16ページにしてくれ。この作品を語る上ではそれぐらいじゃないと伝わらない」
結局こんな感じで雑誌には掲載されなかったんですが、鈴木さんは二人に興味を持ったんですって。
高畑監督は当時「じゃりん子チエ」というアニメを制作されてたので、後日取材に行かれました。
その時は高畑監督とは作品の話を色々されて忘れられない3時間となったそうです。
ホルスについては「この話をまとめられるものならまとめてみなさい」と言われて頭にきたそうですが笑。
宮崎駿の仕事術
そして次に宮崎監督へ取材。
しかし宮崎監督は「ブームだからとアニメ雑誌で商売するあんたらには好意を持っていない」と言われて、監督は仕事に戻ってしまう。
鈴木さんはまた頭にきて、椅子を持ってきて隣に座り、話してくれるまで待ってしまいます。
その時午後4時。
それでも喋ってくれなくて、宮崎監督は一心不乱に描き続けています。
お昼と晩ご飯は持ってきたお弁当を5分で食べる。そしてまた一言も喋らず仕事を続ける。
そして朝の4時。
「帰ります。明日は9時からです」と言われたのが初めてのコミュニケーション。
ええええ、駿も凄いけど、それに付き合う鈴木さんも凄ない?
しょうがないから翌朝も鈴木さんは9時から付き合う。そして朝4時まで仕事。宮崎監督は仕事に没頭して一言も喋らず。
鈴木さんも横で仕事をしていたそうです。
これを3日続けてたある日。
その時作っていた「ルパン三世 カリオストロの城」のカーチェイスシーンで宮崎監督は急に相談してきました。
「こういう時の専門用語って無いのか?」
「まくり、って言うそうですよ」
するとそこから宮崎監督はダーッと喋り出したそうです。
鈴木さんの想像していたストイックな作家性を持つ人間そのものが「高畑・宮崎」だったそうです。
まず何より凄いのは3人ともめちゃめちゃ働くんです。天才とか言われてるけど、努力量がハンパない。
才能とか感性とかそんな前に成功する人はまず圧倒的な努力をされてるんやなあ。
風の谷のナウシカ誕生
当時鈴木さんが働いてた徳間書店では「企画のあるやつは、映画企画委員会にもってこい」と募集してました。
なんで鈴木さんは宮崎監督に持ちかけて2つの企画を持っていきます。
しかしプロデューサーに「映画なめてんの?原作のないものを映画にできるか」」と言われてしまいました。
それを聞いた宮崎監督は「じゃあ原作描くよ。ただし映画化を目的に漫画を描くのは不純だから、漫画にしか描けないものを描きたい」と。
宮崎監督はすぐにカチンときては、凄い事をやっちゃうんです。
鈴木さんは何通りかの見本を見ながら監督に「アニメーション雑誌でやるんだから普通のマンガでやってもしょうがない。一番大変なやつをやりましょう」とけしかけます。
そんなこんなで映画作りもスタートしました。
宮崎監督が出した条件はただ一つ「高畑さんをプロデューサーにしてほしい」というものでした。
しかし高畑監督は1ヶ月通っても首を縦に振らない。
それどころか大学ノート1冊分に「プロデューサーとは何か」というレポートをびっしりまとめいて、最後に「だから僕はプロデューサーに向いていない」と書いてありました…。
鈴木さんも根負けして宮崎監督のところに「無理です」と言いに行きます。
場所は居酒屋だったのですが、宮崎監督は酒を飲みながら「俺は15年間、高畑勲に青春を捧げた。何も返してもらってない!」と号泣。
えええ、どうなってんの?
その様子を高畑監督に伝えても嫌と言うばかり。とうとう鈴木さんも生涯にただ一度だけ高畑さんに向かって怒鳴ります。
「友達が困ってんのになぜ助けないんだ!」と言ったんですって。
びっくりしたのか高畑監督は「わかりました」と返事。しかしその途端にリアリストになって「どこで作るんだ」と。
鈴木さんは会社が必要なんて思っていたので逆にびっくり。今度は怒鳴り返されます。
「宮崎駿一人に乗っかろうなんて、そんなんで映画は作れない。彼が作れる環境を作るためにも会社は必要だろう!」
そこで鈴木さんは高畑さんと引き受けてくれる会社を探すのですが、どこも嫌がります。
「宮崎さんが作るならいいものが出来るだろう。でも、いつもスタッフも会社もガタガタになるんだよ」
完璧主義者と仕事をするのがいかに大変か、みなさんよくわかってる。
しかも一緒に探してる高畑さんも当事者という人選ミス…笑。
そんな時に出会ったのがトップクラフトという会社の社長の原徹さん。以前に二人と仕事をしていました。
原さんはとてもいい人で「わかりました、一肌脱ぎましょう」と言ってくれました。
しかし、トップクラフトのメンバーでは大半が監督のお眼鏡にかなわない実力。スタッフが足りない!
ツテを辿って実力者たちを集めていきます。ガンダムの美術監督やキャプテンハーロックの作画監督など集結し、ようやくスタートです。
宮崎監督の初日の挨拶。
「6ヶ月で作らないといけないので、全く余裕はない。土日休みなし。1ヶ月1日だけ休もう」
そう宣言して、それをガチに実行に移すんです。実際には8ヶ月掛かってます。
鈴木さんが感心するのは、普段よく喋る宮崎監督は作画に入った途端、無駄口を一切きかなくなることです。
朝の9時から翌朝の4時まで。デスクに向かい、ご飯も持ってきた弁当を2つに分けて朝と夜で5分ずつ食べる。
それ以外はずーっと仕事。音楽も一切聴かない。
その姿でみんなを引っ張っていくのです。
現場は過酷を極めてます。
途中でエヴァンゲリオンの庵野秀明さんが参加するんです。
学生時代に自分で描いた絵を持ってトップクラフトに来たんですが、宮崎監督は一発OKで即原画を描かせます。普通は動画から入るんですって。
それで巨神兵のシーンは全部庵野さんに任せてしまう。庵野さんは鞄一つで東京に出てきてて、スタジオでずっと過ごします。
机の下で寝てたそうです。
ようやく映画は完成。見事にヒット。
しかし、映画完成とともにメンバーは一斉に辞表を出したので、トップクラフトは名前だけの会社になってしまったのです。
それでも原さんは制作余剰金をわざわざ返そうと申し出てくるんですって。
宮崎監督はナウシカを完成させた時「監督は二度とやりたくない」と言ったそうです。
一本の作品を完成させるためには、机を並べていた人に対して厳しいことも言わなきゃならない。
アニメーターが頑張って仕上げた芝居が自分の意図するものと違う場合「違う」と指示しないといけない。
その一言ごとに、みんなが離れていく。
宮崎監督は友達をこうして失っていくのが辛すぎたのです。
みんな、これっきりにしようという気持ちだったんですって。
天空の城ラピュタ誕生
この後、宮崎監督に大きなお金が入ってきます。
実は鈴木さんはナウシカを作る時、監督に映画の興業収入その他含めて利益配分があるように契約書を作っておいたのです。
通常アニメ監督の収入は給料だけでした。「職務著作」として著作権は会社に帰属してしまうのです。
鈴木さんやるなあ。
その結果、宮崎監督はこれまで見たことない金額にびっくりします。
「鈴木さん、どうしよう?そりゃ僕だっていい家に住みたい。しかしそんな事してたら世間に後ろ指を指される。ここは見栄と意地を張ってもう少し意味のあることに使いたい」
監督かわいいな。
そこで宮崎監督は高畑監督が作っているドキュメンタリー映画作成にお金を注ぎ込みます。
しかしそれも足りなくなりました。そこでまた鈴木さんに相談。
「大変だけど、もう一本映画を作りませんか?そうすればなんとかなりますよ」
そうと決まれば宮崎監督は凄まじいです。その場わずか5分で「天空の城ラピュタ」の内容を全部喋ったのです。
鈴木さんがびっくりして「ずっと考えてたんですか?」と聞くと「いや、小学生の時に考えた。」とのこと。
もうそんな小さい時から物語を考え続けてたんやなあ。
鈴木さんはもちろんOK、高畑監督にプロデューサーを頼みに行きました。
「僕も高畑さんについてプロデューサーについて学んだので実質は僕がやります。高畑さんは映画に専念してもらって、困った時に相談に乗ってください。ラピュタを作ることで映画の足りない製作費もなんとかなると思います」
「わかりました、すみません。この辺りは立派な家がありますね。僕がこの映画を作らなきゃ、宮さんだってこういう立派な家に住めたのに」
鈴木さんは「よく言うよ笑」と思ったそうですが、こうしてラピュタは始まったのです。
でまた難航するのがスタジオ探し。当然どこも引き受けてくれません。
それを聞いた高畑さんは「これは新しい会社を作るしかない」と言って、それくらい費用が必要かパパパッと計算されました。
机一個に至るまで。
高畑監督はめちゃめちゃ事務能力もある人で、ナウシカの時に作った予算書も完璧だったそうです。
そして原さんを説得して社長になってもらい(後で人生狂ったと言ってたとか笑)、スタジオジブリができたのです。
当時鈴木さんはアニメージュの副編集長。
昼はジブリで働き、夕方から編集部に戻って編集の仕事をする毎日。
別の本に書かれてたのですが、冒頭の宮崎監督との出会いの日から、ほぼ毎日監督とは顔を合わせてるそうです。
つまり二人とも何十年とほぼ毎日仕事をしてるんですね。
でも鈴木さんは宮崎、高畑という二人と一緒にいるのは楽しかったそうです。
ジブリが面白かったんですって。
「天才の思考」を読んでやってみた
このブログを書くにあたり、高畑監督が「じゃりん子チエ」の監督というのを知らなかったので観てみました。
めっちゃ面白いですね。
続編の「チエちゃん奮戦記 じゃりン子チエ」も観たんですが、正直あんまり面白くない…。
なんで?と調べると高畑監督じゃありませんでした。もちろんそれだけの理由ではないでしょうが、妙に納得できました。
しかし、みんなすごい仕事ぶりですよねえ。
僕は正直羨ましく思いました。
「そんな毎日仕事なんて嫌やろ!」って思う人もいるでしょうが、でもなんかちょっと幸せやなって思いません?
そんなアツいメンバーと出会えて、ぶつかりながらも楽しく働いている。
それはもう仕事というより生き様というか。
なんかこう、自分も頑張るかと思える名著でした。
著者 鈴木 敏夫
出版社 文藝春秋