音楽の起源からベートーベンまで!「西洋音楽史」でルーツを学ぼう
クラシックは全ての音楽のルーツってのはよく聞くけど、どういう事?
この本を読むと得られるもの
音楽の歴史を世界史が繋がります。
その時なぜその音楽が発達したのかが理解できます。
音楽をもっと深く楽しめるようになります。
家族がクラシック音楽をやっておりまして。
音楽の話をしてて、「リベラルアーツに音楽があるのはなんでやろう?」と言う話になりました。
音楽には文化的な面だけでなくその時代の情勢も反映してるからではないか?とキュウリを食べながら議論したわけです。
クラシックとか全然縁がないので、興味が湧いてこの本「西洋音楽史」を買ってみました。
この本は「西洋芸術音楽」について語られてますが、一般的に言う「クラシック」は一部に過ぎません。
西洋音楽芸術は1000年以上の歴史となりますが、現在聴かれ慣れ親しんでいるクラシックは、18世紀バロック後期から20世紀初頭までの期間の音楽なんです。
この本では音楽を歴史的に聴く楽しみも提案されてます。
「西洋音楽はどこから生まれたのか」
「どんな問題を提起していたのか」
「こういう音楽を生み出した時代は、歴史のどの地点なのか」
「そこから何が生まれたのか」
こういう事を考えながら音楽を聴く事で、全く新しい次元の楽しさが生まれてきます。
「クラシック音楽をいくら聴いてもさっぱりわからないです…」
そういう人は、ほとんどの場合その原因は、「音楽を聴く場所」の場違いにあります。
西洋音楽も、あくまで深く「場」に根差した音楽、つまり民族音楽であると断言出来るのです。
音楽史は、
- 中世音楽 グレゴリオ聖歌
- ルネサンス 作曲家の誕生
- バロック 絶対王政時代の音楽 オペラの誕生
- ウィーン古典派 市民のための音楽
- ロマン派音楽 サロン音楽
- 第一次世界大戦へ
- ロマン派からの訣別
という流れで解説されています。
ここでは音楽の起源から、古典派への流れを掘り下げていきます。
他の時代については是非本で確認して下さい。
芸術音楽の始まり
まず「芸術」音楽とは一体何?って所から。
それは「楽譜として設計された音楽」の事です。民謡や民族音楽は後から採譜されることはあっても、もとから「設計された音楽」ではありません。
ジャズのように即興性が高いものも同じです。
現在のポピュラー音楽も、楽譜に書き起こされる事はあるけど、ベートーベンのような隅々まで前もって楽譜上で設計される音楽ではありません。
ギター片手に音を探るのではなく、紙の上で音の設計図を「組み立てる」という性格を強くて帯びているのが「芸術音楽」です。
当時は紙も高価、識字率も考えると、楽譜で書かれた音楽は西洋社会のエリートによって支えられてきた音楽なんです。
西洋音楽史の起源の一つが、グレゴリオ聖歌です。
中世音楽はほとんどグレゴリオ聖歌を軸にして発展しました。
聖歌が生まれた中世は、現代からは信じられない世界です。異端審問の火あぶり、数々の災害、悪魔の憑依。
人々は常に恐れて生きていたのです。
そんな時代に修道院から聴こえてくる聖歌が、当時の人々にどのように聴こえたか。
それはまさに「神の清らかな言葉」「神の世界で響く音楽」として映ったはず。
想像するだけで泣きそう。
グレゴリオ聖歌の時代はまだ口頭伝承されるものでした。そして単旋律です。
西洋音楽の最大の特徴が音と音を設計しながら積み重ねていくことなので、まだ聖歌はルーツに過ぎません。
西洋史は古代ギリシャ・ローマ時代から始まり、一度ゲルマン人の侵入によって解体され、その後カール大帝によるフランク王国から再び統一的な文化圏を形成します。
カール大帝が統一したのは、イタリア北部とドイツ、フランスでした。
カール大帝は支配地域のキリスト教化を進めて、学者や芸術家を招いて文化振興に尽くしたのです。
その時に「書く音楽文化」も生まれました。
西洋芸術音楽についての重要な地域性定義はここから始まります。
芸術音楽とは、イタリア、ドイツ、フランス中心に発展した音楽なのです。
合わせると、「知的エリート階級によって支えられ」「主にイタリア、ドイツ、フランスを中心に発展した」「紙に書かれて設計される」音楽文化が「西洋芸術音楽」となるのです。
その後、グレゴリオ聖歌も譜面に記されていきます。
そして「単旋律じゃつまらんなー」と新しく対旋律が楽譜に重ねられ歌われるようになりました。
どんどん何かを少しずつ加えていき、さらに物足りなくなった芸術家気質の奴達が「もっと新しいこと」をやり始めました。
古代では音楽はまだ「聴くもの」ではなく、振動の研究でありました。音程比と弦の長さの比例関係を発見したのはピタゴラスなんです。
冒頭で書いたリベラルアーツは、文法と修辞学が基礎学科であったのに対し、音楽は幾何学や天文学と並ぶ数学的学問とされてたのです。
まだ音楽は、快楽ではなく科学に近いものだったのですね。なるほど、腑に落ちました!
中世末期の音楽で目にするのが「アルス・ノヴァ」という言葉です。
これはフィリップ・ド・ヴィトリの理論ですが、彼が行なったのは従来の三拍子だけでなく、二拍子のリズムも表現できる記譜理論なんです。
これは現在の記譜法の基礎にもなりました。
13世紀以後は、もはや神はお構いなし。芸術の為の芸術として追い求めていったのです。
しかしこのヴィトリの理論は当時の宗教者たちからの非難にさらされました。
二拍子のリズムや不自然なリズムで音楽を切り刻んでると責められたのです。
このアルス・ノヴァ論争は宗教と音楽の乖離を告げる事件となりました。
14世紀の音楽は祈りとしての行為から、楽しむ為のものへと変化したのです。
ウィーン古典派とユートピア
バロックから古典派へ
時は18世紀。バロックの厳格な音楽とは違った、楽しい音楽が現れるようになった時代です。
18世紀は市民階級が急速に勃興します。
明快で合理的な考え方を学び、自然な感情発露を尊びました。
そこから「理性によって自らを神や王から解放し、いかなる権威からも自由に行動する個人」という意識が目覚めます。
この新しい思想がフランス革命の勃発へと続き、続くナポレオンの熱狂でピークを迎え、ウィーン会議で一段落する。
この時代を反映した音楽様式が古典派です。
神に捧げるでもなく、王を賛美するものでもない、「市民による市民の為の、市民の心に訴える音楽」が初めて生まれたのです。
「音楽の父」バッハは、古典派が誕生する前にあたるバロック最末期の作曲家です。
この頃から既に音楽様式も増えてて、もう新しい音楽への兆しが見えますね。
バッハの息子たちの世代は「前古典派」と呼ばれる時代になります。
バッハの次男エマヌエルや末っ子クリスチャンの曲は完全に「古典派」と言えるものです。
クリスチャン・バッハはモーツァルトに強い影響を与えた人物です。
ウィーンが音楽の都として発展を始めるのもこの頃です。
「オペラ改革」のグルックも前古典派と同じ世代でした。グルックは劇内容をドラマチックに表現したのです。
市民が楽しむ為の音楽が登場!
これまで音楽は庶民が耳に出来る機会はごく僅かでした。
例えばオペラは王族の祝典の一部でしたし、器楽曲も貴族が社交場で聴くものだったので、どちらも庶民には高嶺の花です。
そんな音楽が徐々に庶民に解放されていきました。
切符を買えば音楽が聴ける制度が作られて、楽譜の印刷も盛んになりました。
お金を出せば誰でも音楽を楽しめるのです。
これは前述した貴族の没落が影響しています。
作曲家が作る音楽も、貴族の豪勢な生活を演出するBGMから、自分の音楽に惚れ込んで楽譜を買ってくれる人へのメッセージになったんですね。
「演奏会」と「楽譜出版」の発展こそが、作曲家が世間に自分をアピール出来るチャンスになりました。
ハイドンは公開演奏会で初めて大成功を収めた作曲家です。楽譜もベストセラー。
ハイドンによって確立された交響曲と弦楽四重奏というジャンルは、こういう歴史の中で生まれたんですね。
そして王の為のオペラから、喜劇オペラへ移行していく時代。
最も人気を集めたのが、モーツァルトです。
「演技」と「掛け合い」の妙があって、これを音楽で表現したモーツァルトは、音楽史上で最高のオペラ楽曲の名人でした。
劇中で表現される怒りや安心、恋心を、モーツァルトは見事に音楽で描きます。
しかもそんな趣の異なる音楽を次々と繰り出しながらも全体は崩れないのも凄いところ。
そしてもう一人のウィーン古典派の巨匠が登場します。
ベートーベンです。
時代としては、ハイドンとモーツァルトの活躍後に登場します。
これまでとの違いは、ベートーベンは貴族世界と完全に縁を切っていることです。
ハイドンやモーツァルトの交響曲は、第三楽章は必ずメヌエットでした。メヌエットは宮廷舞踏曲です。
それに対してベートーベンは、メヌエットと対極にあるトリオを置きました。
ベートーベンにより古典派は完成されたのです。
「西洋音楽史」を読んでやってみた
勉強が楽しいなんて人生初なんじゃ…
今回はリベラルアーツを学んだ時に気づいた疑問を解決すべく読んだ本です。
脳科学的には知識の習得ってドーパミンという快感物質が出るんですよね。
もうめっちゃ実感しました。
今まで全く興味がなかった分野でも楽しく学べる。脳内麻薬分泌されまくりですね。
気になった分野を掘り下げて本を読んでいくのも良く推奨されてる事ですよね。
気になる事は本で勉強しようぜ!
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