5人の幕末志士の生き様に学ぶ「人生最後の日にガッツポーズで死ねるたったひとつの生き方」
美しく、カッコよく生きる
あなたの「命」とは「時間」のことです。
このブログを見てる間にも、あなたの寿命は縮まりました。
人生最後の瞬間、これまで得た物全てを手放すのが人生のゴールです。
一つだけ持っていけるのは「思い出」です。
人生最後の日、どんな思い出を持って帰れるのでしょう。
ひろゆきさんの本でも出できた「石と壺」の話。
あなたの人生で最も大きな石ってなんでしょう。
一番大切なものを一番大切にしながら生きる。
それが人生最後の日に、後悔なく死ねる、たった一つの生き方です。
大きな石が決まっている人は、やらなければいけない事に「追われる」人生ではなく、やる価値のある事を「追いかける」人生が送れます。
マーチン・セリングマンは「幸せ」は3つの要素から成り立っていると解き明かしました。
pleasure…楽しみ、愉快、喜び、興奮などの快楽
flow…時間を忘れて熱中出来ること
meaning…人生の意味や仕事の意義。および目的の追求
この中でも重要なのがmeaningです。pleasureは段々慣れてしまうし、flowはいつまでも入ってられません。
この本では本当に大切にしたいこと、どう生きたらいいか、「生きる理由」を見出す為の5つの物語が書かれています。
カッコよく生きた人生を目撃する中で、生きる理由は自然と湧いてくるものなのです。
「自分もこんな風に生きたい…!」
そう思える5人の幕末志士の物語。
吉田松陰、高杉晋作、野村望東尼、ジョン万次郎、坂本龍馬
是非この本を読んで、最高の人生を迎えましょう!
吉田松陰物語
何の為に生きるのかを問い続けた男
1853年6月、日本に激震が走ります。
黒船来航。
やって来たのは見た事もない大きな船。2千トンを超える大きさは当時の日本の船の19倍です。
当時のアジアの国々はほぼ全て西洋の国に屈服し、植民地とされていました。
「日本も侵略される…」
当時の日本が大混乱になるのは当然です。
そんな中、一人の青年はこう思いました。
「あの船に乗りたい!」
いてもたっても居られず、浦賀にむかって走り出しました。いつだって前のめりです。
それが吉田松陰。25歳です。
松蔭は当時の事を
「自分の心がそうせよと叫ぶなら、怯む事なくすぐに従うべきだ」
と記しています。
生まれ故郷のアメリカを飛び出して世界を巡り、大海原を渡って来た黒船の連中こそサムライだ。
松蔭はそう思ったそうです。
松蔭は11歳にして講義をするほどに兵学を学んできましたが、これまで学んだものが空論であると黒船を見て悟ったのです。
このままでは日本に勝ち目はない。
ならば、これまで学んだ知識は即捨てるべきだ。
松蔭にとって一番大切にしたいことは、日本を守る事でした。
その為には、これ程の技術を持つアメリカという国を、まず学ぶ必要があると考えたのです。
「君は、何の為に学ぶのか?」
これは後に松蔭が、松下村塾の門下生に常々問うていた質問です。
黒船に乗り込む松蔭
松蔭は黒船に乗り込み、アメリカへ連れて行って貰える様に直談判しようと計画を立てます。
当時の日本は鎖国をしていたので、密出国は死刑です。
松蔭はジョン万次郎が漂流してアメリカに滞在したように、漂流して乗り込もうとしたのです。
この話を聞いた同郷の金子重之輔もついて来ました。
2人は黒船に潜入します。
アメリカ側の記録には、「法を犯し、知識を増やす為に、二人の教養ある日本人が命がけで船にまで乗り込んできたその知識欲は大変興味深い。
この日本人の気質を考えると、この国の未来は可能性に溢れ、有望である」と記載されています。
しかし結局は交渉は決裂。二人は日本に送り届けられました。
そして二人は逮捕されるのです。
この時の松蔭の一句です。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(こんなことをすれば僕は囚われ、命を落としてしまうともわかっている。しかし、この国を守りたいという大和魂は、やむにやまれないのだ)
本来なら死刑は確実な二人ですが、幕府には嘆願書が届いていたのです。
「あの二人を殺さないでくれ」
アメリカ海軍提督マシュー・ペリーからでした。
ペリーのおかげで死刑は免れましたが、二人は牢獄に入れられます。
汚物まみれの牢獄、虫けら同然の扱いです。
重之輔は体調を崩します。肺炎を患い、皮膚病から肌は化膿していきます。
そして入獄から2ヶ月足らず、松蔭の最初の弟子重之輔は命を落とすのです。
松蔭は牢獄の中でいく日も自分を責め続けました。
殺したのは自分だ。なぜ自分だけ生き延びてしまったのだろう…。
僕はなぜ生きるのか。僕に生きる意味はあるのか…。
知ることは人の喜びである
やがて松蔭はひとつの想いに行き着きます。
どんなに嘆いても過去を変えることはできない。
しかし、未来を変えることならできる。
未来を変える為には、今、この牢獄で出来ることを、どんなことであれやる以外にない。
それ以外に重之輔の命に報いる方法はないと悟ったのです。
松蔭が入っている牢獄は終身刑です。生きて出る事はありません。
しかし、松蔭はそんな牢獄の中で読書を始めるのです。松蔭は野山獄に入れられた2年の間に1000冊以上の本を読んでいます。
そしてついに松蔭の「真骨頂」が目を覚まします。
牢獄内で塾を始めたのです。
獄中には色々な人たちがいます。囚人の特徴を見渡すと、書が得意なもの、和歌がうまいもの、色んな囚人がいます。
松蔭はそんな囚人たちを次々と先生にしていったのです。
「先生!」そんな風に呼ばれていると、囚人たちも満更ではなく、次第に明るい表情で牢獄は溢れていきます。
中には松蔭に「こんなことは意味がない。俺たちはここで死ぬんだ。それなのに読書したり勉強したりして、一体何になるんだ?」という者もいました。
松蔭の考えはこうでした。
「私たちは囚人で、再び世に出ることはないかもしれない。たとえ学びが進んだとしても、世間的のは何の効き目も無いと言えるでしょう。
しかし、人間として必ず持っているものは、人として、人の道を知らず、士として士の道を知らないという恥ずかしく思う心である。
この気持ちが誰にでもあるとすれば学ぶ外ない。
そして、知ることが、どんなに我が心に喜びを生ずるものでしょう(「講孟余話」)
松蔭も囚人たちから何か教えてくれと頼まれます。
松蔭は牢獄の中で「孟子」の授業を始めました。その授業はあまりに素晴らしく、囚人たちも正座して聞くようになったといいます。
僕らが生きる真の目的は自らの内側(魂)に変容をもたらすことです。
だからそこがどこだろうが、何をしてようが、外側の状況は関係ないのです。
「朝起きて夜寝るまで、ある時は、感動して涙を流しながら本を読み、またある時は、嬉しくて小躍りしながら勉強した」
松蔭は牢獄での生活をそう記してます。松蔭カワイイな、おい。
牢獄であろうがなんだろうが、心はいつも自由なのです。
松下村塾がスタート!
こうして松蔭が牢獄で活動を続けるうちに、「なんか牢獄がアツいことになってるらしい」という噂が立ち始めます。
こんな凄い人を牢獄に入れておくのは惜しいと、ついに松蔭は牢獄を出ることを許されたのです。
今まで誰も出たことのない野山獄。しかも松蔭は新しいムーブメントを起こしつつ出てきたのです。
そしてこの松蔭が出てきた1855年12月15日こそが、後の日本の幕開けとなるのです。
牢獄から出てきた松蔭は叔父の塾を継ぐ形で、「松下村塾」を始めます。
月謝は無料。そして真っ先に松蔭は希望者に「何のために学ぶのか?」と問うのです。
松蔭は「何のために学ぶのか?」を突きつけて、一人一人に「立志(生きる理由)を立てさせたのです。
「何を目指すのか」よりももっと大切なのは「なぜ目指すのか」です。
つまりそれは「生きる理由」です。
そしてそのまま人生を「諦めない理由」になります。
「人の生きる正しい道を知ることが出来なければ、どんなに勉強しても、勉強したとは言えない」
当時は封建社会で、人間関係は上下関係が重んじられてました。
しかし松蔭は身分差別を嫌い、身分は全て無視。
門下生同士を「対等の友」とし、重視されていた縦の関係を横の関係に変えたのです。
だから生徒のことを弟子と言わず、「諸友」と呼びました。
私のことを「僕」、あなたのことを「君」と呼び出したのも吉田松陰が最初です。
本来僕とは「しもべ」のこと、君とは「主君」のこと。
どんな相手でも自分を下において、相手を立てて付き合うために呼び方を開発したのです。
この当時では画期的な考え方でした。「こころざしあれば身分は一切関係ない」
この思想は松下村塾の世界観となっております。
わずか2年しか存続しなかった、田舎の松下村塾からは数々の偉人を輩出しています。
革命家の久坂玄端、高杉晋作を生み出し、伊藤博文、山県有朋という総理大臣も輩出しています。
他にも大臣になった品川弥二郎に野村靖。日本大学と国学院大学を創立した山田顕義。
条約改正に活躍した井上馨に東京工業大学の初代校長正木退蔵など。
スゴイなあ…。こんなバンバン偉人を輩出するってどんなに凄い塾だったのか。
しかし2年後、幕府にとって危険分子をみなされまた牢に戻されます。
この時期、松蔭は門下生に「なぜみんなこの国のために動こうとしないんだ」と嘆きます。
多くの門下生と絶交宣言もしているのです。
松蔭は声を大にして幕府の現状を批判します。
徳川幕府200年の歴史の中で、これほど真正面から幕府を批判したのは、吉田松陰ただ一人です。
役人を目覚めさせる為、自局に対する幕府の判断への批判を堂々を語りました。
しかし松蔭の想いは幕府に届くはずもありません。危険人物を思われただけでした。
そして松蔭は30歳の人生をもって死刑が執行されました。
松蔭の死を知り、江戸処刑所に門下生たちが駆けつけます。
松蔭の死体は粗末な桶に無造作に放り込まれていました。門下生たちは号泣しながら松蔭の体を綺麗に清めます、
そんな門下生たちに役人が松蔭の時世の句を渡しました。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ぬとも 留めおかまし 大和魂」
僕の体は武蔵の地に今滅んでゆく。しかし僕の大和魂は この地に残していく
松蔭は自らの命をもって門下生に問います。
「君たちはどう生きるんだ?」
松蔭は「武士は守死であるべきだ」と問いています。
「守死」とは常に死を意識している状態です。
人は必ず死にます。何も成さなくても死にます。
ならば、どう生きたいのか?何のためにこの命を使うのか?
いつもそのことから軸をぶらさずに生きよ。ということです。
最後に松蔭が松下村塾の床柱に刻んだ言葉を紹介します。
「一万冊に及ぶほどの本を読んで勉強しなければ、千年の歴史に名を残すような人になれようか。
自身の労を惜しまず積極的に働くような人でなければ、どうして天下の人々を安らかにできようか」
「人生最後の日にガッツポーズで死ねるたったひとつの生き方」を読んでやってみた
人生のゴールを決める
吉田松陰は偉大な人だとは知ってましたが、具体的にどんな人だったのかは知りませんでした。
松下村塾が気になります。どんなことを勉強してたんやろう。
この辺をまた掘り下げていきたいと思います。
吉田松陰の教えは
「何のために生きるのか?なぜそれをするのか?
あなたが生きることで、世界はどう良くなるのか?あなたが生きることで誰が笑顔になるのか?」
ううむ…一度はきちんと向き合わないといけない問題です。
正直、自分が生きて世の中に影響か与えれるのかどうかなんてわかりません。
それなら最初の「人生最後の日に、どんな人生だったと振り返るのか」
そこから考えた方がいいのかも。
神メンタルでもありました。カーナビと同じで「目的地」はきっちり決めないと絶対に辿り着くことはできないと。
モーニングページで時間をとってきっちりと考えます。
まだまだアツい話がたんと記載された面白い本です。
是非読んで、あなたの最後の日もよかった!と思える人生にしていきましょう。
著書名 人生最後の日に ガッツポーズして死ねる たったひとつの生き方
著者 ひすい こたろう
出版社 A-Works