アドラー心理学で学ぶ自己受容と貢献感「嫌われる勇気」
一見禅問答のようなやりとりだがいつかはストンと落ちる本
ベストセラーとなった「嫌われる勇気」。遅ればせながら読みました。
すみません。
最初は正直禅問答のようなやりとりに「こんな奴近くにいたらめんどくせーなー」みたいな嫌悪感で読んでました。
聞き手の青年がことある毎に怒るので「こいつどんなけイラチやねん」とこっちもイラついてました。
すみません。
こういう自分こそ、この「嫌われる勇気」でアドラー心理学を学ぶべきでした。
人は感情で動くのではなく、目的の為に感情を使っている。
この「青年」がイラチなのではなく、「僕」が青年をイラチなものとしていたのです。
はい、もうすでに読んでて疲れたって方がいらっしゃるかと思います。
この本は哲学者と青年のやりとりが会話形式で進んでいくのですが、「世界はシンプルである」と説く哲学者に青年がひたすら噛み付いていくという内容です。
僕も最初は疲れながら読んでいたのですが、ある時ふとストーンと話が心に落ちる時がやってきます。あれ、何これ?俺、悟った?
それがこの本が名著と言われる所以なのでしょう。
この感覚を味わう為にも是非この本を読んでみてください。
アドラー心理学とは?
アドラー心理学は正式名称は個人心理学と言います。
イギリスのアルフレッド・アドラーによって創始され、後継者たちによって発展してきた心理学の体系です。
個人という言葉は英語の語源で考えると「分割出来ない」という意味になります。
精神と肉体、理性と感情、意識と無意識を分けて考える事は出来ないという事です。
アドラー心理学では
個人の主体性、目的論、全体論、社会統合論、仮想論
を5つの基本前提として受け入れることで成立します。
アドラー心理学は現在の私達は過去とは関係ないとしています。
あるトラウマでニート引きこもりになっても、それは「トラウマで外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、トラウマという感情を作り出している」と考えます。
これが目的論です。最初の原因論のもとで動いている限り、一歩も前に進めません。
カッとなって怒り大声を出したのではなく、大声で相手を威圧する事を目的として怒りの感情を利用しているのです。
人に殴られて仲が悪くなった場合で考えると、「あの時殴られたから悪くなった」と考えるのは原因論。
アドラー心理学だと完全に逆転して、「仲を良くしたくないから、殴られた時の記録を利用している」になります。
そこで課題の分離です。
原因を「殴られたから」と考えると、自分では何も出来なくなります。
しかし後者で考えるとこの対人関係のカードは自分が握っていることになります。
例え相手に仲直りの意思がなくても関係なくなります。多くの人は対人関係は相手がカードを握っていると考えます。そこが問題なのね。
変えることが出来るのは自分だけです。それによって相手も変わる事があります。でもそれが目的ではありません。
カッとなって怒鳴りつけた時も、それは「全体としての私」が怒鳴ることを選んでいると考えます。
決して感情という独立したものが、自分の意思と無関係に、怒鳴り声を出させたのではないのです。
カッとして怒鳴る事も「自分」と「感情」を切り離し、「感情にかられてしまったのだ」と考えると、人生の嘘へと繋がります。
このように人間個人をこれ以上分割出来ないものと考えるのを全体論と呼びます。
どうです、ここまでは理解できましたでしょうか。正直自分でもどこまで理解できてるのやら。
是非とも本でじっくりと読んでみて下さいね。
対人関係でもアドラー心理学で「目的」を考える
自己肯定ではなく自己受容
他人に嫌われたくない、アホと思われたくない。自分に自信が持てない。
だからありのままの自分での対人関係を回避しようとします。
僕もありのままの自分で接すると恐ろしい事になるだろうと思います。
このしょうがないとも言える課題をアドラー先生はなんとぶった切るのか。
これは「ありのままの自分」が居ないのではなく、ただ人前でそれが出来ないという事ですよね。
ここでは「自己への執着」を「他者への関心」に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。
そこで必要になるのが「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。
なるほど、わからん。
自己受容とは、アドラーの「大切なのは何が与えられてるかではなく、与えられたものをどう使うかである」という言葉から考えます。
僕たちは「わたし」という容器を捨てれないし、交換もできません。
しかし大切なのはどう使うか。「わたし」に対する使い方を変えていくことです。
ポジティブになって自己肯定を持つ必要もありません。自己受容なのです。
この2つの違いは、自己肯定とはできないのに「おれスゲー」と自ら暗示をかけること。
これはコンプレックスにも繋がり自らに嘘をつく生き方でもあります。
自己受容は、できない自分をありのままに受け入れ、良くなるように前に進んでいくことです。自らに嘘もつきません。
つまり「変えられないもの」と「変えられるもの」を見極めるのです。先述した対人関係の課題の分離と一緒よね。
「変えられるもの」に注目するのです。私たちには何か能力が足りないのではなく、「勇気」が足りないのです。出ました、勇気。
肯定的な諦めとしての自己受容が出来ても、共同体感覚が得られる訳ではありません。それは事実です。
そこで「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていく時、大切なのが「他者信頼」になります。
信じるという言葉を信用と信頼に分けて考える
信用とは条件付きの言葉です。「これがある」から信用する。
これに対しアドラー心理学では、対人関係の基礎は信用ではなく信頼によって成立する、と考えます。
他者を信じるにあたって、一切の条件を付けないのです。
そんなのめっちゃ利用されて終わりなんじゃ?って思うあなた。安心して下さい。
信頼の対義語はなんでしょう?それは懐疑です。
仮に懐疑の心を対人関係の基礎に置くと、みんなを疑ってかかります。それで前向きな関係が築けるのか。
ここでアドラー心理学の得意技で言うと、裏切るかどうかを決めるのは、自分ではなく他人の課題です。
ここでもただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。
相手が与えてくれるから与える、は信頼ではなく信用です。
つまりはやはり課題の分離なのです。
アドラーは聖人君主になれと説いているのではありません。もし、「こいつ嫌いや」と思うなら断ち切って全然構いません。
それは自分の課題だからです。
他人と良い関係を築きたいなら、「信じること」と「疑うこと」、どちらを選択するかは明らかなのです。
さらにもう一つ「他者貢献」が必要になります
自己受容と他者信頼で、他人とは「仲間」という関係になります。これで居場所を見つけた所属感は得られるでしょうか。
共同体感覚にはこの2つだけでなく、もう一つ必要になります。
それが「他者貢献」です。
仲間である他人に対して、なんらかの貢献をしようとすること。
自己犠牲ではなく、むしろアドラーはそう言う人を「社会に過度に適応した人」して警鐘を鳴らしているのです。
私たちは「誰かの役に立っている」と思えた時だけ、自らの価値を実感できます。
つまり他者貢献とはむしろ「わたし」の価値を実感する為にこそなされるのです。
仕事はお金を稼ぐことも要素です。が、実態は私たちは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットして「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して、そこから自らの存在価値を受け入れてるのです。
お金持ちになっても働き続けるのは、強欲だからではありません。
「ここに居てもいいんだ!」と言う所属感を確認する為なのです。
宝くじを買ったら引きこもって暮らすんだーとか言ってる奴はこれが想像出来てないんです。
まとめると、ありのままを受け入れる(「自己受容」)からこそ、裏切りを恐れること無く「他者信頼」をすることが出来る。
そして他者に無条件の信頼を寄せて、仲間と思えるからこそ「他者貢献」することが出来る。
さらに他者に貢献するからこそ「わたしは役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることが出来る。「自己受容」することが出来るのです。
「嫌われる勇気」を読んでやってみた
勇気を持つということ
やー、難しいですよね。
アドラー心理学を学んで、そこから生き方を変えれるところまで実践するには「そこまで生きてきた年数の半分が必要になる」という説もあります。
20歳なら10年。60歳なら30年。「いや、それ変わる頃には死ぬかもやん」と思う必要はありません。アドラーも年齢に関係なく、人は変われると言ってるのです。
自分が変われないのは「変わらない」という決心をしているからです。変わる事で生まれる不安と、変わらない事でつきまとう不満。こいつらとどうしていくか、どうするか決めないといけません。
どこにでも「転職したくない。定年まで絶対この会社で働くんや」と言いつつ、会社には不満を言ってる人がいます。どうするか決めんかいという事なのね。
色々勇気が必要です。
引きこもりは子供の課題。親は援助する意志だけ伝えて介入してはいけないのです。
本に近付き過ぎると読めないように、人間関係にも距離感は必要です。
見返りも人間関係に持ち込んではいけません。
人に嫌われたくないと行動すると、いずれ矛盾が生じて嘘も必要になってしまうのです。
人間関係の10人中1人は嫌う人だそうです。そして2人は親友になれる人なんだって。どっちを向いて判断や行動をするかです。
わたしはこの人に何を与えられるのかと考える。介入は縦の関係です。相手を自分より低くみてるからこそ介入するのです。
幸福とは、貢献感です。
承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がありません。本当の貢献感を持てたら他社からの承認は要らないのです。
普通であることの勇気。特別でない自分を受け入れる。
今、ここを真剣に生きると過去も未来も関係なくなります。人生における最大の嘘は、今、ここを生きないことです。
わたしが変わると世界は変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれません。
と、アドラー先生は申しております。
オススメのまとめ
もっとコミュニケーションを円滑に出来たらなあと悩んだ時にはまずこちらから。
著書名 嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
出版社 ダイヤモンド社